日本もシンガポールや東南アジアのように公用語法を制定して、日本語を第一公用語、英語を第二公用語にするという考えはどうだろうか。日本語とは別に英語を駆使するとどうなるのか。
情報をどのような形でインフォメーションとして資料化するのか。さらに自分の目的、戦略に資するような形でインテリジェンス化するか、こういうことが付加価値として決定的に違ってくる。つまり、自分が出す情報の量と質に見合って、外からの情報の量と質が決まるということだ。
もう一つ、日本が優れたものやノウハウはこれまでアジアにも影響を与えてきた。日本文化が世界で今一つ理解されないのは表現できていないからで、これは日本にとって損失だ。英語力を政府だけではなく、企業も個人もつけていくべき。日本のよさの再発見のきっかけとして英語力を生かすべきだ。
英語公用語というと、韓国やアジア諸国で格差が起こると言うが、本当にそうだろうか。一部のエリートだけが使うなら、かえって言語による格差は起こるだろう。優れた才能は日本人全体の中にあるのだとしたら、日本国民皆英語話者にするべきかもしれない。
しかし、それにはまず企業に先頭に立ってもらい、社員個別の英語プログラムを組み、Atlasのような英会話スクールで努力させる語学レベルの向上だけではなく、企業なら日本在住の外国人や留学生を雇用することもできる。
それ自体が、今まで同じ環境で育ってきた人とは違う能力と競争する機会を社員に与え、協力・競争することで日本人をグローバル人材に育てていけるかもしれない。
それには、まずガラパゴス化した大学入試を日本人だけではく外国人留学生に受けさせるべきだ。付加価値をつけられるのは世界標準に合うかどうかだからだ。日本の大学入試がいくら難しくなろうが、世界から評価されない、使えない英語では子供が一生懸命受験勉強するのに値しない。
グローバルで考えると、やはりTOEICよりTOEFLでないと、英語力は評価されない。グローバルリテラシーである英語を読んだり書いたりする力を育てるには大学入試を変えることから始まるだろう。
また、バイリンガル教育を受けた子供の方が国語(日本語)の力が高いことがわかる。母国語以外にもう一つの言語と対話することで、言語感覚が敏感になるからだろう。生活の中で言葉と格闘し、自分の考えをいかに伝えるかを磨くことができる。
日本人は英語をナチュラルに話さなくてもいいのでないだろうか。英語でどう表現するかのトレーニングと機会を増やすことが大切なことだと考える。小学3年生から英語教育を始めるのはいいことで、アジア諸国では10年以上前から実施されている。そして、小学校から系統的に大学まで一貫した英語教育プログラムを作るべきだろう。
グローバル人材を育成するための最大の問題は、経営トップにグローバル人材が少ないことだろう。グローバル人材を雇用するのなら、どこまで本当にトップが使いきれるのかを考えるべきだ。
これからのグローバル人材はBRICsをはじめ新興国で活躍しなければならなくなる。外国人と一緒に目標達成できるチームリーダーをどう育てられるかにかかってくるだろう。
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